カカオの国、ガーナへ再び

今年は後半から海外出張が多く、今月の11月も2日(土)から10日(日)までガーナへと出張である。また、ガーナからの帰途、コペンハーゲンにも2泊することになっているため、通しで13日間の出張となった。

ロンドン・ヒースロー空港内にクリスマスツリー

ロンドン・ヒースロー空港内にクリスマスツリー

11月2日、まず私はガーナ・アクラに向かうべく、成田空港からBA(ブリティッシュ航空)に乗り込んだ。最初の到着地はロンドンヒースロー空港である。この日はロンドンで1泊である。正直、できればこのまま目的地のガーナ・アクラまで行きたかったのだが、残念ながら経由する航空機は既に飛び立ってしまっていたため、明日でないとトランジットができない状況だったのである。そんなことで、ヒルトン・ヒースローターミナル5というホテルに宿泊することになったのだが、利便性がとても悪く、シャトルバスを利用しないとホテルまで行けず、逆に空港に戻ってきたい時ももちろんシャトルバスを利用しなければならい。しかも1時間に3便ほどしか走っておらず数が少ない。他に空港と徒歩圏内で直結しているホテルもあったのだが、今回は1泊だけだったので渋々そのホテルに宿泊することにした(変更するのが面倒だったので・・・)。

ホテルに到着したのが夕方4時過ぎ。疲れてはいたが、せっかくフリーの時間があったので、ヒースローエクスプレスと地下鉄を乗り継いてピカデリーサーカス駅まで行き、周辺を散策し、そしてそこから徒歩10分程度のところにあるロンドンナショナルギャラリーまで歩いて行った。残念ながらナショナルギャラリーは午後6時で閉館なので、私が着いた時にはすでに美術館は閉まっていた。しかし、外観だけでも見ることが再びできたことは嬉しい限りである。それからまっすぐWhite Hall通りを15分ほどビックベンに向かって歩いた。夜も7時すぎだったので、向かい風が思いのほか冷たく、歩いているにもかかわらず、なかなか体が温まらない。それでも折角来たのだから、ということでビックベンとロンドンアイ(観覧車)をウェストミンスター橋から眺め、何枚も写真を撮影した。そして、十分に景色を堪能すると、ウェストミンスター駅からホテルのあるヒースローターミナル5駅まで45分ほどかけて戻っていった。そしてホテルに戻ると、軽く夕食をホテル内のレストランで摂り、そして翌日の出発に備えた。

閉館後のロンドン・ナショナルギャラリー

閉館後のロンドン・ナショナルギャラリー

翌日は遅めの朝食をとり、そして昼前にシャトルバスに乗り、空港出発ロビーへと向かった。その後、ヒースロー空港からアクラへ向かう便に乗り込むと、再びロングフライト(6時間半)が待ち構えていた。すでに成田からロンドンの11時間以上のフライトで嫌気がさしていたが、ホテルのベッドで昨夜は寝れたので、まあ、まだ救いではあるが。

さて、時差ボケもすでに出始めている私の体は正直で、飛行機に乗り込と、すぐさま深い眠りへとついて行った。そして、到着1時間ほど前に目が覚めた。それからほどなく飛行機がアクラ空港に到着すると、宿泊先ホテルNovotel Accraのシャトルバスのドライバーが迎えに来ていた。他にも宿泊客が到着する予定らしく、すぐには出発せず、20分以上も空港ロビーで待たされた。その時、既に時刻は夜9時30分を回っていた。早くホテルについて寝たい・・・、と内心本気で懇願していた(あんだけ飛行機で寝ていたにもかかわらず・・・(ーー;))

他の客とやらがなかなか来ないので、一度、シャトルで私たち一行をホテルに連れて行ってくれと頼んだ。すると、ドライバーが知り合いのタクシー運転手を捕まえて、私たちを先にホテルへ送るように手配してくれた。なかなか粋な計らいだね~。

しかし、このタクシードライバーがとんでもなくふざけたヤローだったことは、この時点では知る由もなかった。私たちは荷物をトランクに詰め込み車に乗った。ガーナは日本とは反対の左ハンドル右側走行である。私はドライバーの後ろの席に座っていた。仕事仲間も一緒も同乗しており、後部座席は私ともうひとり座っており、荷物がトランクに入りきれなかったため、二人の間にもスーツケースが積み込まれており、お互い顔すら見えない状況で座っいた。

車が走り出して5分ほどすると、舗装された綺麗な道路が目の前に広がった。さすがに夜10時近いこともあり、車の数はまばらであった。私は夜のアクラの街の景色を窓を開け放しながら楽しんでいた。すると突然、大型トラックが私たちのタクシーの前に入ってきた。さすがに私たちのタクシードライバーが中指立ててトラックドライバーに「Fu** Fu**!!」と叫びながら中指を立ててまくし立てていた。すると予測もしなかった最悪な事態が・・・。

交差点で信号が赤になったのである。トラックもタクシーも共に横並びに信号待ちのため停車。我がタクシードライバーは「割り込んで入ってくるんじゃねー!Fu**!!」と叫びながら、ボディーランゲージで「降りて来いよ!かかってこいよ!」と言わんばかりに相手を挑発。はじめは車の運転席からの口論だけだったが、そのうちにトラックドライバーが激怒しはじめ、そしてもの凄い勢いで本当にトラックから降りてきたのである(゚д゚lll)ギョエー。

残念だったのは、我がタクシードライバーは背が低く、体つきも貧弱で、私でも左手だけで勝てそうな弱々しい50代半ばのおじさん。それに引き換え、トラックから降りてきたドライバーは、見るからに身長190cmはあるであろう大男。しかもマッチョタイプの欧米人風のおじさんで、タクシー一台をそのままひっくり返せそうなほどの体型の持ち主であった。この時点で私はどちらに勝算があるかを見極めることができた。

トラックドライバーはすぐさまタクシードライバーまで走り寄り、開いていた窓から左手を車内に突っ込み、ドライバーの胸ぐらをしっかりと掴むと、窓側にできるだけ引き寄せ、そして桜島大根のような腕っ節でドライバーに向けて何度も顔面パーンチ!顔面パーンチ!!顔面パーンチ!!!((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

勝ち目が無いと分かった我がタクシードライバーは信号が青に変わった瞬間、アクセルを踏み込みトラックドライバーを振り払った。

タクシードライバー「へへへ!ふざけんな、馬鹿野郎!!(←たぶん、こんなこと言ってた気がする)

トラックドライバー「待ちやがれ!(と言いながらタクシーの後ろのバンパーを破壊する強烈な音が聞こえた・・・(゚д゚lll)ギョエー)」

タクシードライバー「(振り切った後、もの凄い勢いで車を走らせながら私たちに向かって)アイツ、クレージーだ!クレイジーだ!!ヒッ、ヒッ、ヒッ、ヒッ・・・・」

ようやくトラック運転手の「顔面パーンチ!」から逃れることができた情けない我がタクシードライバーはまだ興奮冷めやらずといった感じで、それからしばらくルームミラーをちらちらとチェックしながら、追いかけて来ていないだろうな・・・という焦りを見え隠れさせつつ、私たちにはちょくちょく振り返りながら「あいつはクレージーだ!ドラッグやってるんだ!酒飲んでるんだ!」などと、奇声に近い声でいつまでも叫んでいた・・・そう、鼻血を出しながら・・・(+。+)

それでもなんとかホテルに無事到着すると、荷物をおろし、チェックインカウンターへと向かおうとしたとき、ドライバーが近寄ってきて手を出した。チップが欲しいのだろう。しかし、あれだけ私たちに不快感を与えておき、下手すればこちらまでボコボコにされていたかもしれない(私もドライバー後部席に座っていて、しかも窓開けてたし)。まあ、ご想像どおり、チップは払わず、これからは言動に気をつけるべきだと注意だけしておいた。それにしても、顔をボコボコに殴られ、鼻血まで出し、さらに車のバンパーは破壊され、到着してもチップはもらえず、おまけに客には叱られ・・・タクシードライバーも踏んだり蹴ったりである。

そして翌日からアクラでの仕事が始まった。ここ、ガーナで会議を開催するために私ははるばる日本からやってきたのである。

5日(火)まではアクラのNovotel Accra Hotel内で会議を開催し、宿泊も同ホテルであったが、6、7日の2日間はアクラから車で西に3時間ほど走らせた小さな町、ケープコーストでに移動した。ここにはUCC (University of Cape Coast)がある。キャンパス内は車で移動しても結構な敷地の広さを持っているため、徒歩はツライ。しかも気候がこの時期でも30度はある。今回の出張ではこの大学にも多少関係している内容なのだが、ここではその話はスキップしておこう。

ケープコーストで宿泊したのがCoconut Grove Beach Resortというリゾートホテルである。「リゾートといってもねぇ、ガーナだし・・・」と思っていたが、実はものすごく良いところだった。今年2月にアフリカのケニア(モンバサ)、タンザニア(ダルエスサラーム)、そしてガーナ(アクラ及びケープコースト)を訪れたことは以前のブログにも書いたが、その際、ケープコーストを訪問した時に宿泊したのは今回のCoconut Groveではなく、Elimina Beach Resort Hotelというところだった。その時のホテルの酷さは以前のブログを見てもらえばわかるが、その記憶が後遺症となり、脳裏に未だに残っていたため、Coconut Groveも大したところではない、と思ってしまったのだ。しかし、蓋を開けてみれば何とも素晴らしいところで、CoconutとEliminaはそれほど離れた場所に立地しているわけではないので、もしケープコーストで宿泊するのであれば、間違いなくCoconut Grove を強くオススメする。絶対Coconut Grove!!

Coconut Grove敷地内での撮影(開放感がたまらない)

Coconut Grove敷地内での撮影(開放感がたまらない)

私が宿泊したコテージ風の部屋(かなり広かった)

私が宿泊したコテージ風の部屋(かなり広かった)

もう一枚オマケで、敷地内のプールとジャグジー(豪華~)

もう一枚オマケで、敷地内のプールとジャグジー(豪華~)

さて、8日早朝、再びアクラのNovotelに戻るためケープコーストに別れを告げて、この地を後にした。

ケープコーストからアクラへ戻る道中で撮影

ケープコーストからアクラへ戻る道中で撮影

そしてアクラに戻ると、再びアクラでの会議に精を出し、そして10日(日)の夜、アクラ発ロンドン行きのBA便に乗り、ガーナを去った。経由地のロンドンには早朝に到着し、それから再びコペンハーゲンへと向かうべく飛行機に乗った。11日(月)の昼頃にはようやくコペンハーゲン空港に到着したのである。

それから、翌12日(火)は、とあるシンポジウムに参加し、翌13日(水)には再び飛行機でコペンハーゲン空港からロンドンヒースロー空港へ行き、そこで乗り換え、やっとのこと成田行きのJALとBAのコードシェア便で14日(木)の夕方に成田に到着したのであった。

この2週間弱の出張で6回も飛行機に乗ったことになる。飛行機嫌いの私だが、この短いスパンでこれだけの回数をこなすと、結構慣れてくるものだなぁ、と感じた今回の出張であった。

シンタ

恐るべし、ケープコースト!

アクラで宿泊したMovenpick Hotel

アクラで宿泊したMovenpick Hotel

ダルエスサラームに別れを告げ、最後の目的地、ガーナ(アクラ)へと向かった。今回のアフリカ出張(ケニア、タンザニア、そしてガーナ)は私を含め3人での出張だったが、タンザニアを出発するまでは特に大きな問題もなく過ごしたが、ここにきて、トラブル続出。

まず、ダルエスサラームを出発した私たちは、アクラまでの直行便がないため、ナイロビを経由し、そしてKQ(ケニア航空)でアクラへと向かったのだが、途中、ナイジェリアのラゴス空港で緊急着陸!?何かと思えば、燃料給油のためとのこと。「ふざけんな」という罵声が席のあちらこちらから聞こえてくる。

給油をしているあいだ、突然の緊急事態に備えてシートベルトは外しておくようにとのアナウンスが流れた。外していなくても、飛行機に引火したら結局一緒のような気もするが・・・。

そして、この緊急着陸のせいでアクラ着が大幅に遅れ、その日の午後に約束していたアポをキャンセルする羽目になってしまった。ラゴスで給油するなんて、聞いていなかった私は、CAに詰め寄り、「罵声+文句+etc」を言いたい放題。そして、特別に機外に出させてもらい、アポ先に電話をし、キャンセルをした次第である。CAの「私は悪くありませんし知りません」的な態度が私の怒りという名の火に油を注いだ結果である。

そして、30~40分経程経った後、飛行機は再び離陸し、そして1時間もしないうちにアクラの空港に到着した。

やっとのことで、到着し、いざ荷物を持って入国、と思いきや、私の荷物は無事であったが、同僚2名のスーツケースが紛失。しかも、彼らだけでなく、同便を利用した乗客20~30名の荷物も届いていなかった。これにはさすがの乗客もブチ切れ。そして私も参戦・・・←好きやな~

さて、すったもんだがあった後、カウンターで必要事項を記入し、荷物が届いたら連絡するので取りに来てください、と言われた・・・「はぁ(゚Д゚≡゚Д゚)?」冗談もいいかげんにしてもらいたい。私はすかさず「滞在先ホテルまで送れ!」と申し入れると、それはできないとの返答。呆れ返って言葉もでない・・・。飛行機到着が遅れ、さらに荷物も紛失。おまけに荷物は再び空港まで取りに来い???一体どうなっとんじゃ、ケニア航空!!二度とこんな航空会社使うかっ!、と心に誓ったシンタであった。

不快な気分で到着したガーナ・アクラだったが、迎えてに来てくれていた知人の顔を見た瞬間、怒りも半減した。そして一つはアポキャンセルしてしまったが、もう一つのアポのため、用意していた車に乗り込み、いざアクラ市内へと進んでいった。

気候はケニアやタンザニアより湿気が多い気がした。市内の様子は驚くほど近代的であった。もちろん市外はいうまでもなく、砂埃が舞う道路に平然と並んで商売しているお店や屋台。道路に出て車の間を抜けながら商品を売り歩く人が多く目立つ。頭の上に商品の入った大きな籠を乗せながらうまくバランスをとり歩いている。見ているだけで、首がどうにかなりそうである。

ケープコーストへ向かう途中で撮影。バナナ売ってるみたい。

ケープコーストへ向かう途中で撮影。バナナ売ってるみたい。

仕事も順調に進み、アクラで数日過ごした私は他の同僚2人と別れを告げ(彼らは先に日本へ帰国するのである。羨ましい限りである)、アクラから西へ車で3時間ほどの小さな街、ケープコーストへと向かった。これも出張の一環で行ったのだが、個人的にはもう行きたくない。というのも、宿泊したホテルには虫がいっぱい(ゴキブリ含む)、そしてヤモリまで登場・・・。

おまけに最もこの私を地獄のどん底に陥れたのは、日本に到着してスーツケースを開けたときのことである。何かゴソゴソしている気が・・・と嫌な予感満点で恐る恐る中身を取り出していくと、なんと!ゴキブリ出現!しかも生きてる!!L(>0<)」オーマイガッ!!!

すぐに叩きのめすと、スーツケースに入っていた洋服は全て洗濯機へ直行である。今思い返すだけでもゾッとするが、それにしても外来生物を連れて帰ってきた感は否めないシンタであった・・・( ̄□ ̄|||)ゴーン

アクラ市内で見つけた看板。安室ちゃん?

アクラ市内で見つけた看板。安室ちゃん?

最後に、全く関係ない話だが、アクラ市内を車で走っているとある看板が目に入ってきた。それが上の写真である。どうだろう、皆さん、この人見たことありませんか?本人とは言わないが、ちょっと安室ちゃんに似ていたので、記念に写真を撮ってきた次第である。えっ?似てない?失礼しました・・・(^_^;)

シンタ

サバンナ、タンザニア!

タンザニアと言えば日本人は「キリマンジャロ」や「サバンナ」、そして「ワイルドライフ=野生動物」という言葉を思い浮かべるだろう。前回のブログではケニア訪問について綴ってみたが、今回はタンザニアのダルエスサラームを訪問した時のことをこのブログに残しておきたいと思う。

ハイアットリージェンシーの客室

ハイアットリージェンシーの客室

今回のダルエスサラームの滞在中は、ハイアットリージェンシーを利用した。部屋はご覧のとおりベッドルームから風呂場が丸見えである。一人で使うには問題ないが、二人となるとさすがに考えものである。恋人同士ならいざしらす、そうでなければ結構イヤな造りである。もちろん私はシングルユースでの利用だったのでノープロブレムであったが。

さて、今回のタンザニア・ダルエスサラーム訪問は3泊となっており、前回のケニア・モンバサの2泊よりは少し落ち着くことができそうである。ケニアのお隣の国だけあって、気候はケニアとさほど変わらない。暑いが湿気があまりないことに気づかされる。

いつものとおり、仕事の話はあえてブログでは説明しないが、基本的に私のアフリカ出張の予定は朝から夜までびっしりと入っていた。しかし、ラッキーなことに(←ホンネ丸出し)、訪問予定先からの連絡で、アポをキャンセルしてもらいたいとのこと。どうやら病気で寝込んでいるらしい。よって、訪問は翌日に延期された。

ワイルドな道をひたすら進んでいく

ワイルドな道をひたすら進んでいく

てなわけで、この日の午後は急遽オフとなり、タンザニア人の知り合い数名とともに、ダルエスサラームから近いワイルドライフ国立公園へ案内してもらうことにした。「片道2時間だよ」と言っていたが、実際はなんと倍以上。しかも道路は舗装されていないところが多々あり、まさしくスギちゃん的に言うと「ワイルドだろ~」なのである。途中にサービスエリアがあるとは思えないと推測した私は、極力水分を摂らないようにした。そして無事4時間以上かけて目的地のHifadhi za Taifa国立公園に到着。

Hifadhi za Taifa国立公園

Hifadhi za Taifa国立公園

しかし、5時間かけてきたにもかかわらず、国立公園はもうすぐ閉園時間とのこと!

車はとりあえず国立公園内へと進み、来た道とは違う、別の公園出口へと続く道をひたすら走った。そのあいだ、公園内を走っていた車の中から私は野生動物を探していた。「4時間以上もかけてきたにもかかわらず、野生動物一匹も見ないで帰るわけにはいかん!」と心の中で叫んでいたが、野生動物と出会うのはそう簡単なことではないみたいだ。本当に何もいない・・・・・。

森の中に消えていく野生のキリン

森の中に消えていく野生のキリン

しかし、半ば諦めかけていた矢先、車の目の前を突然横切る大きな物体を私は目にした・・・親子連れのキリンだった。

シーンとしていた車内が突然のキリン出現に「オーっ!!こりゃすげー!本物だ!!」と大賑わい。その後もしばらく盛り上がりを見せていた車内だったが、それも国立公園出口ゲートを出るまでであった。そう、みんなリアルに実感していたんだ、これから4時間近くかけてダルエスサラームまで帰らなければならない、ということを・・・( ̄□ ̄|||)ゴーン

そしてやっとホテルに到着したときは、もうすぐ日が変わる時間であった。

シンタ

ケニア・モンバサ 初上陸!

ケニア・モンバサ(モイ)空港

ケニア・モンバサ(モイ)空港

2013年2月、私は始めてアフリカの大地に足を下ろした。まずはケニアのモンバサを訪れた。残念ながらプライベートではなく、仕事での出張だったため、写真を撮影する時間や観光名所を訪れるといった時間はほとんどなかったが、とりあえず撮影した写真を含め、旅の記録としてこのブログに残しておこうと思う。

2月16日(土)11時20分成田空港発BA006便(ブリティッシュ・エアウェイズ)でまずはロンドン・ヒースロー空港へと向かった。飛行時間は約12時間。のっけから結構しんどい距離である。そしてロンドン時間の15時00分に到着した私はその後、18時45分発BA047便でケニアのダルエスサラーム空港へと出発し、9時間程度のフライトの後、無事ダルエスサラーム空港に到着した。そして今度はダルエスサラーム空港からPW730便(プレシジョンエア)でモンバサ(モイ空港)へ向け、再び飛行機に乗った。ダルエスサラームからモンバサへは40分程度の飛行時間だったので、前の2便のフライトの長さから比べると「屁」みたいなもんである(余裕~)。

これがプレシジョンのプロペラ機だ!

これがプレシジョンのプロペラ機だ!

それにしても、これまで聞いたことのないプレシジョンエア、実はタンザニアの航空会社の一つで、タンザニアの航空会社で一番の規模を誇る航空会社らしい。ネットで調べてみると、1994年より運航開始となっている。タンザニアの飛行機???と、結構ビビリながら乗ってみたが、実は新しい機体で、もちろん座席シートなど、全てが綺麗で清潔感のある機内で大変満足な飛行機なのである。さらに、プロペラ機だったにもかかわらず、力強く飛行し、今回のアフリカ出張では8便飛行機を利用したが、今思い返してみると、この飛行機が一番快適で信頼して乗れていたような気がする。プレシジョンエアは結構オススメである。

さて、やっとのことでケニア・モンバサに到着である。早速手荷物受取所(Baggage Claim)で荷物を無事受け取ると、入国審査である。この時、空港利用税として10米ドルを支払わなくてはならないので米ドル(もちろん現地通貨のケニアシリングでの支払いも可能である)は必ず持っていたほうが賢明である。そして、陽気なケニア人の審査官との話も早々に切り上げ、空港出口を出て、そしてケニアの地に足を踏み入れたのである。

木彫りをしている人々が集まる村

木彫りをしている人々が集まる村

すでにて手配していた車とドライバーがサインを片手に待っていた。さっさと空港を後にした私は、まずホテルに向かって・・・と思ったら、ドライバーの提案で途中寄り道をした。長時間のフライトで疲れてはいたが、せっかくここまで来たのだから、と、ドライバーの言うがままに、とある場所へと向かった。それは4,000人ほどが各々、木彫り創作をしている「村」のようなところであった。そしてそこには彼らが製作した木彫りの置物やお面などが販売所に所狭しと並んであった。まったくの素人的なものを作る人もいれば、本当に感心するほどの作品を創る人もおり、作業過程を見て回るだけでもここは楽しかった。しかし、残念ながらこの場所の名称が分からないので(ドライバーに聞くのを忘れた)、だれか分かる人がいれば教えてもらいたい。ちなみにこの場所はモンバサモイ空港からさほど離れていない場所にある・・・と記憶している。

さて、私は十二分に村の魅力を堪能し、そして販売所でキリンの手彫り置物を購入した。5米ドル程度だったので、安い買い物ができたと喜んでいたが、こんなデカいキリンの置物が私のスーツケースに収まるか、早速不安材料を抱えながらホテルへと向かうのであった。

セレナ・ホテルのプールとその向こうには海!

セレナ・ホテルのプールとその向こうには海!

モンバサ滞在中のホテルはセレナホテルに宿泊した。リゾートホテルだけあって、ホテルにはプール、そしてその向こうにはインド洋。そして私は心底「遊びた~い」という衝動に駆られるが、残念ながら2泊という短い滞在期間であり、しかもホテル到着後、すぐにミーティングがあり、終了したのが夜遅く。さらに翌日は朝から晩までぎっしりスケジュールが詰まっており、そしてその次の日は朝食後、空港に向かわなければならなかった。よって、プールとビーチは目だけで楽しんだのであった(泣)。

モンバサの町中のワンシーン

モンバサの町中のワンシーン

さて、モンバサについて全体的なイメージというか感想だが、以前訪れたことのあるバングラデシュやインド、スリランカなどの国々と似ているような気がした。また、町の中心は特に車が渋滞する。それもそのはず、信号がほとんど無いからである。一応、警察官が手信号で交通整理をしているが、あまり役立っているとは思えない。おまけに、これを職業にしているのかどうかは定かではないが、突如、車道に飛び出る男性。そして大渋滞の中、右折や左折をしたい車のために道を開けてあげる。ただ単にいい人?それともお節介焼き?いや、「勝手に交通整理、でも道を開けたんだから金よこせ」作戦が遂行されていたのである。押し売りもいいところではあるが、これもお金を稼ぐひとつの生き方なのではなかろうか?たくましい限りである。

町中といえば、とにかく走っている車のほとんどが日本製(トヨタが主)である。しかも中古。おまけに日本のどこかの会社の社名などがプリントされたままの車が特に多く目立つ。日本に帰国したら、その会社を見つけ出して「あなたの会社が以前使用していた車、今、ケニアのモンバサで元気に走っていますよ、ほら、この通り」と写真を持ち帰ってあげたいくらいである。日本では車は新車が当たり前であり、少々のキズも気にする人種だが、ここモンバサでは「走ればいい」というスタンスなのだろう。このような中古車が今も元気に走っているとは、本当に感動としか言いようがない(;´Д`)スバラスィ

さて、話は変わり、ここケニアは次期大統領選を翌月の3月に控えており、そのため、テロや暴動などが起こるのではないかと懸念されており、私も実際、ケニアに到着するまでは少々心配して(またはビビって)いたのが本音であったが、とにかく何事もなく済んだのでホッと一安心である。

モンバサでは他にもいろいろな事があったが、長くなるのでそろそろ終わりにしたいと思う。

たった2日間の滞在ではあったが、モンバサ暮らしもさほど悪くなかったと思ったシンタであった。とはいえ、実際に「オマエ、来月から転勤でモンバサだ」と言われたら、絶対に行かないが(本音)・・・( ̄□ ̄|||)ゴーン

次回はタンザニア・ダルエスサラーム編を更新する。

シンタ